秩父宝登山神社
ご縁あって、秩父は宝登山にある寳登山神社に行ってきました。全くノー知識で出向いたのですが、ここは三峯神社と同じでオオカミ(眷属)を厄災除けの札に使っているんですね。ニホンオオカミがまだいるかもしれないとまことしやかにささやかれている土地、昔からオオカミと共存してきたのでしょう。
今日は吉日だからか、平日にもかかわらずかなりの人出でした。昇殿祈願前の待合室には皇室雑誌が大量に置かれ、日本国旗セットの販売展示がされていました。なるほど、ずっと、どこで門柱に飾る日本国旗を買うんだろ?と不思議でしたが、神社ルートでも購入出来るんですね。ちなみに扇子の形のかわいいおみくじを引いてみたのですが、大吉でした。

「願い:高い望みでも叶う」が嬉しいですね。武道はもういいかな。
オオカミと大神
オオカミって、「音」として捉える時に大神のことを言ってるのかな、と漠然と思っていたのですが、神社のホームページにはこんな風に記載されていました。
“私たちは特に優れた力や自然界の生命力をカミとして崇め敬い、自然が生み出す恵みと脅威をも受け入れ、「今」を大切に想い日々の生活を営みます。”
- 大山祇神~おおやまづみのかみ~山を司る神、人の生活に欠かせぬ水に始まり動植物、いわゆる山の幸を無限に恵み給う神。神犬の大口真神(オオカミ)を御眷属としてお使わし下さり我々をご守護下さいます。
なるほど、山の神つまり自然の神の眷属としてオオカミがお札に描かれているんですね。
この、森羅万象を捉えて、全てをめぐみとして感謝する感じが神道の清々しく尊いところだと思います。自然信仰はまさに、生かされていること、既に私たちは全てを持っていることを知らしめ、感謝というものの定義観点を正確に示してくれる考え方だと思います。
この神社には他にも
神日本磐余彦尊~かんやまといわれひこのみこと~第一代の天皇で、皇室の祖先を御神体としています。
火産霊神~ほむすびのかみ~も祀られています。
ホは火を表し、ムスビは物を生成する神秘の力を表し、燃え盛る炎が人の生活に必要な様々なものを生み出しして無限の幸を授ける、ということで火災避けにも強い火の気の御祭神ですね。
祭殿に向かう渡り廊下から見える山肌や自然の豊かさを、美しいなと思いました。祭殿天井には様々な動物が描かれた貴重な歴史的財産があり、麒麟など伝説の生き物や、バカボンのウナギ犬のような謎の動物も描かれていました。
祈願
祈願は大きな太鼓を一定間隔で鳴らすところから始まりました。そう、レインボーチルドレンで使うインディアンの誘導瞑想と同じ。音の、トーンという振動数を借りて脳波をシータ波に誘うスタートなわけです。お腹に響き、細胞のバイブレーションが超高速で振動してるな、という体感。
祝詞は言霊で、サイキックな眼で見ようとするとそこにも法則が働いています。神社は五層と捉えられますが、私の感覚では日本の神道が祀る神の多くは人間に似た神格化したものではなく、そこにある自然界のエレメントであり、神社は法則を用いて繋がる場所、という感じ。感謝を神格化した万物のエネルギー。
なので、祭祀は家内安全や無病息災を「願う」ものではなく、今ある家内安全や無病息災に対してありがとうございます、と感謝してくる場所だなぁと感じました。己を知る場所でもあると思いました。
神社の豆知識
実は昔の仕事柄、神社での儀式に参加した回数はかなり多い方だと思います。山自体を御神体とした太古のスタイルが残っている神社で、神前式をプロデュースしていたんですね。
新郎新婦に儀式を予めお伝えしてリハーサルする必要があるので、神社に出向いて宮司さんに一つ一つの儀式の意味を取材していました。その時に教えていただいた「柏手」の豆知識をシェアします。
二礼二拍手一礼には拍手諸説ありますが、これは置いておき、拍手する時の柏手(かしわで)。基本は両掌をそのまま合わせず、右手を下に少しずらして「音を響かせる」拍手になります。これ、婚礼や儀礼などの慶次に行う拍手と同じです。

この時、乾いた音がすれば火の気が強すぎ、湿った音がすれば水の気が強すぎ、体内にいる神のバランスが崩れているサインなのだとか。
綺麗にパン!と響く時、それが場の邪気を祓い神に繋がる道を開く、というような説明だったと思います。内なる神とのバランスが取れていてこそ、邪気を寄せ付けないと。神と己が調和し常に切り離されておらず一緒にいると感じられると。
確かに私たちは創造のエネルギーで出来ていて、内なる神がいます。そしてエネルギーのバランスが取れていれば、恐れや不信感と言ったエネルギーのプレッシャーを受けず、常に創造主と一緒にいて守られていると感じられるでしょう。
柏手は「音」を使った6層的な浄化です。場の振動数を変化させます。つまり自身の内側のバランスの取れた徳の高いバイブレーションを使って、場の空気を変えるというわけです。
邪気とは
では柏手で祓う「邪気」とは何なのか。これは化学的に観ると酸化現象のことではないかと思います。
10円玉がサビるのは、銅の表面の不安定な金属原子が環境中の酸素や水分などと酸化還元反応(いわゆる「腐食」)を起こすからです。
酸化(物質が酸素と結合する、または電子を失う)と還元(酸素を失う、または電子を取り込む)は必ず同時に起こります。これは異なる性質の原子、分子同士が酸素や電子(エネルギー)の交換を行なっている、というイメージです。

抗酸化作用、というアンチエイジングや健康のための謳い文句がありますが、酸化することは悪ではありません。人間も呼吸時に体内に酸素を取り込みますが、それが細胞を酸化するからATPが生成されます。そして酸素があるから生きることが出来ます。
これ、人間社会にも当てはまると思いませんか?「交換」が望ましくない相手と起こる場合、それはサビのように10円玉を腐食してしまいます。でも必要な相手とエネルギー交換が起これば、ATPが生成されるように多くのものが「創造」されます。
部屋の隅に溜まる埃は、酸素や水分を使い空気中のエネルギー分子と酸化、還元作用をしています。埃が溜まり酸化したエネルギーの塊が増えれば、空間はバランスを崩します。穢れや不浄、邪気の正体は不適切なエネルギー交換によるバランスの崩れではないでしょうか。
ヴァイアナが掃除をしなさいと言いますが、実に理に適っています。停滞してサビたエネルギーを断捨離して、「今」のエネルギーを整える。エネルギー本来の調和がとれる分子結合状態に整える。エネルギーブレイクやインプリントを光に返すコマンドは、空気を振動させ酸素を動かし、エネルギー分子の結合を変化させているのだと私は捉えています。シータヒーリングって全然、ふわっとスピリチュアルではないと思います。法則に則って使う叡智だなと思います。
人間関係、金銭、感情などバランスが取れていない時、それは適切な相手と、適切なエネルギー効果が行われていないのかもしれません。関係性の中に流れるエネルギーが酸化していて、邪気と呼ばれる分子結合になっているのかもしれません。自己犠牲やエゴイズムは不適切なエネルギー交換を生じさせるのだから。相手の余計な酸素を引き受けて自分は錆び、相手はすっきりホクホク、というのは自己犠牲そのものの構図ですよね。
神前でなくとも、朝起きて柏手を打ち自分の生み出す「音」で、バランスが取れているかどうかを簡単に確認出来るので、皆さんもやってみてはいかがでしょうか。







