ヒーリングサロン アルゴリズムデザイン about me

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アルゴリズムデザイン講師


埼玉県在住
シータヒーリング認定インストラクター
​認定プラクティショナー

これまでのお仕事

経営コンサルタント(港区・全国)/大学受験予備校講師(群馬)/高校受験塾講師(埼玉)ディレクター(全国)/ウエディングプランナー(港区・埼玉)/グラフィックデザイナー(港区)/ホテルマン(営業)/保育士(埼玉/認定こども園)

好きなもの、苦手なもの

【好き】アベンジャーズ(アイアンマン、アントマン、ガーディアンズが特に好き)
猫、昭和の喫茶店、箱根駅伝、コーミソース、お笑い(ロバート秋山とラーメンズ)
【苦手】細かい掃除

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幼少期

今でいう発達障害疑いのある子どもで超問題児。授業中じっと座っていられず、ふらりと抜け出しては勝手に近所の公園に行きカタツムリやドングリを無心で集めている子供でした。学校外への脱走は日常茶飯事。登校前にランドセルを隠し、見知らぬ大人に親子のふりをしてくっついて動物園に入り込む、無賃乗車で知らない駅までひらすら電車と地下鉄を乗り継いで冒険に出かけるなどを繰り返し、お受験してせっかく入学した私立小学校を2年生で退学となる。

公立小学校に転校するも宿題はいっさい提出せず忘れ物は常習犯。男児と殴り合いの喧嘩をしたり、やんちゃをして骨折したり、自作のかぶれ薬を作って肌に塗り実験し、兄弟もろとも人相が変わるくらいぼこぼこに顔が膨れあがり何度も通院するはめになったことも。近所の廃材集積所から材木や鉄くずを集め、他人の土地に勝手に秘密基地を建設したり、家中に複数置いたカマキリの卵が一斉孵化し家の中がカマキリだらけになり大目玉をくらったり。

中学・高校も全く勉強をせず赤点常連。高校3年生の秋にそろそろやばいと思い受験勉強開始。寝る時以外全部勉強漬けというめちゃくちゃな生活を3か月だけ頑張って大学入学、都内に出る。何か夢や就きたい職業があって進学したわけではなく、将来のことなど何も考えずただ単に「空手の師匠が入部していた体育会空手部が〇〇大学にある」と聞いたことがある点と、高校の当時の担任の母校でもあり、どちらの恩師も法学部で、その大学がマニアックな出題をしていて英語と世界史で点数を稼ぎやすい、特殊でテクニックの有無で差がつきやすい=短期決戦しかない自分には絞れるから最適、というだけの理由で進学する(論文を書きたかったのでちょうどよかった)。しかも学費を自分で払い自力で通うためのバイトに明け暮れ留年する。

霊感はないがサイキックな幼少期。ロケット花火を正面に向けて放ち、「曲がれ!」と軌道を頭の中で描いたらUターンして肘に当たり大やけど(今も痕が残る)。それがハイヤーセルフの声だとは知らず、いつも頭の中にアドバイスを送ってくる存在がいて周りもそうだと思っていた。サイキック的に今も続いているのが夢見。夢で予知夢(未来リーディング)を見る。意識的に回避しなければ現実化する。

仕事

将来設計は一切なく就職活動もせずなんとなく必要とされ、それが自分にとって簡単そうで出来そうであればその分野に行く、という人生を歩む。寄り道が多い分、様々な業種業界・世界(芸能界や財界)の様々な年齢層の人に会い、交流が生まれ、日が当たる場所で生きる人たちなりの苦悩や、困窮する人たちの周りにある現状や原因、幸せに見える人たちの、人には見せない葛藤などに長年触れる経験をする。組織の中では管理職が長く、いろいろな個性を持つスタッフが集まる会社組織の中で、意見を言える人、言えない人、優しい人、横暴になる人など人の性格に触れ、DNAの違いがこの差を生み出すのか、養育環境なのか、何が因子となって性格は発現するのだろうと常に考えていた。
興味の赴くまま、自分の得意分野に流れていく方針だったので、たくさんの仕事を経験したが一番長かったのはコンサルタント。経営不振の企業の再建と社内教育、営業メソッドの講演会を長いことやっていた。他の職業もほぼ「教える」立場。唯一向いていなかったのは保育士。デスクワークや企画中心の人生で、体力・健康の才能がなかった私は保育士に向いていなかった。

保育士を経験した理由

保育士になった動機はヒーラーの道に直結している。

1つめ
この世界で悩み自己肯定感を持てず、だめだと分かっていてもその道を選んでしまう人、動けなくなってしまう人、自己主張が出来なくなってしまう人など、葛藤を持つ人たちに共通するのはもしかしたら幼少期の、特に母親との関係性からくる問題なのではないか、という仮説を立てる。幼少期のある一定の期間に、自尊心や自己肯定感を育てられる環境に置かれず、心が傷つき愛着形成が不完全なまま大人になった時、どこまで生き方に影響を及ぼすのだろう、と思い、保育士の国家試験を受けることを思い立つ。試験科目の中に、乳児教育、幼児教育、発達心理、愛着形成など様々な学びの項目があり、合格云々ではなく研究として勉強する。受かってからも実際に保育士として勤務ながら研究を続ける。その中で、不適切な養育は親御代々繰り返している連鎖があり、愛着形成に瑕疵があるとこういう悩み、困りごとを抱えてしまうという現実を目の当たりにする。

2つめ
子供が生まれ、これまでの激務で定時があってないような働き方が子育てとは両立できないと気づき、どうせなら性格形成の謎の答えを知るための勉強が出来て、子育てにも役に立つ一石二鳥の職業は?と考え保育士になる。

気づき

​私がなりたかったのは、こどもを育てるプロじゃない。こどもの養育に関して知識を得たかったのは、愛着形成や親子関係でずっと苦しんできて、すでに大人になって今リアルタイムで悩み葛藤している人たちへの解決策が知りたい、というのが動機だったことに改めて気づく。

シータヒーリング 出会い

保育士時代に原因不明の痛みで脚が動かなくなり、複数の病院を受診しても分からず。理学療法士の先生がシータヒーリングのヒーラーさんをご存じで、つないでいただいた。
2回目にセッションを受けた際「これ、自分でやり方を学んだら生涯にわたってどんな問題も自力で解決できるのでは?」「足の痛みだけでなく、人間関係や子育ての問題、あらゆる問題が解決できるメソッドだよね、これ」と思い、思い立ったら吉日。すぐに先生を紹介してもらい受講スタート。

インストラクターへ

シータヒーリングインストラクター に

受講を開始してから毎週受講する形で一気にアナトミーまで受講。その中で、ヒーラーの先輩でクラスで一緒になる方たちからセッションへの苦手意識や創造主と繋がる確信が持てない、リーディングが苦手等相談されることが頻繁にあり、シータヒーリングを使いこなすには学んでいる期間の長さではなくコツがあるのだと気づく。何故自分が苦も無く覚醒できたのか、覚醒できない場合何を見落としているのかを整理するうちに有料でヒーラーさんたちのセッションをする機会が増えた。どうすればシフトできるのかクラス内容をアウトプットする中で、創造主から「教えるというディバインから逃げずに向き合えばこの(セッションの)行列は終わりますよ」と言われインストラクターになる。

「覚醒したい、創造主と繋がりたい」にフォーカスしたインストラクターになろう、教えるだけではなく最短で使いこなせるようになるメソッドを構築しようと決意。

シータヒーリングインストラクター

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