学ぶとは何か
皆さんは、何のために勉強しますか?していましたか?得た知識を、その先に「使う」という目的のために得る場合と、知識を得ること自体が楽しくて勉強する、というパターンがあると思います。
チャットGTPわずか2年で不合格から主席合格記事が出ましたね。これは考える課題があると思います。もし、「知識」が必要な仕事なら、チャッピーに聴けば誰でも得られる。ただ問題を解くだけなら、解答する能力はほとんど不要になるということ。
これは教育の在り方を変えて行く素晴らしいチャンスだなと思います。何故なら、企業に勤めたことがある人なら分かると思いますが、学校のお勉強で正解を出す人が、必ずしも仕事が出来る人とは限らないという経験があるからです。
知識がある時、会社を、社会を回すために求められるのは、その知識をどう使うか、です。洞察力、応用力、縦横に空間的に情報を見て取捨選択をする整理力などです。
私と同じ世代なら知っていると思いますが、昭和は詰め込み教育でした。「個」の持って生まれた能力にフォーカスするのではなく、一律教育。それが、私が大学生の頃に中学生のカリキュラムが変わり「オーラルコミュニケーション」など実践的な英語教育が始まり、その後入試にヒアリングがデフォルトになりました。
私も試験対策の英語は難関大の問題でも解けますが、喋れません。発音が分からないからです。読めて書けても、実生活で使えない英語です。ネイティブな言い回しは習っておらず、文語体の英語しか知りません。
同じように、答えればOKな知識で留まり、それをどう活かすのか、どう工夫するのか、インスピレーションを型にするのか?という脳トレーニングが圧倒的に不足しているのが少し前までの教育です。だから、結果を出すためのプロセスを思考する能力が育たない。社会に出て壁に当たる。
本質的に賢い人とは
本質的に賢い人とは、工夫が出来、自分なりの考えを持ち、それを表現する方法を知っていて、かつ他者の意見が異なる場合に尊重し、調整出来る人だと私は思います。学歴関係なく、素晴らしい人がこの世界にはいっぱいいるんだなと感じ続けた社会人生活でした。
(私は学歴の無駄遣いと言われてきましたが、アイデア出しと臨機応変さが要求されるコミュニケーション力が必要な仕事ばかり渡り歩いて来たので、いわゆる「良い企業」勤めをしておらず、官公庁など同期が進んだ官僚の世界も経験していません。だからこそ、人間性や非認知能力が必要な世界では、自ら考えて答えを出す力がある人が輝くというのを目の当たりに出来ました)
そして、自分の強みを知っていて工夫出来る人はどこでも必要とされ、周りとも上手くやれます。評価基準が他者からつけられる「点数」ではないから、自分がやり遂げた!良いアイデア出せた!という自分軸で自己評価をします。つまり、自分で自己肯定感も効力感も得られるから、ブレない。
今小学生は、高学年から「表現能力」「要約力」「工夫力」を育てるカリキュラムに変わっています。国語の授業はグループで話し合い、意見を出し合い、登場人物が何故そういう行動を取ったのか?それはどの文章から導き出せるのか?出た意見をどうまとめて班の意見として発表するか?などから始まります。
そして、学年が進むにつれ、自分の意見、根拠を文章化し、取捨選択しまとめることを学んで行きます。文科省は教育の方向性を変えているんですね。それが必要だと、健康で文化的な生活をし、心豊かに生きるために必要な能力だと日本も気づいているのです。
自分の意見を言っても良いと許可される場を幼い頃から与えられ、他者の意見も自分の意見も尊重される経験をし、誰かに命令されて無理矢理意見を捻り出すのではなく、話し合いで調和が取れるということを学んで行く。
これは、シータヒーリングを学んでいる人は大人になってから取り戻す能力ですが、これからの世代は人間に必要な学びを教育でもたらしてもらえる。だから、親世代はこどもを頭ごなしに叱り、コントロールしようとしてもこどもは従わない。自由意志を育ててもらっているからです。
もちろん全ての教員が指針通りに育みをしているわけではありません。ですが、もう今はこども達のエネルギーが違うこと、地球の波動変容が既に起こっている今は旧世代のエネルギーでは対応しづらいことを知り、こどもから学ぶ姿勢が自分の中に尊重を育て自由意志を理解することが、一緒に地球のディバインタイミングについて行くために必要ではないかなと思います。
ディバインだから教育も変わっているわけですからね。変わりたいと願う時、身の回りに変わるためのヒントや手助けしてくれる人はいる。知識はチャッピーに任せて、それを「自分は」どう思うのか?「自分なら」どう使うか?と、より自分自身と知識を絡めて考える。それが、悟りの助けになります。
応用テキストにありましたね?人間は「何故?」と問う唯一の生き物だと。何故?を使えるから、学べるのだと。本当の気づきは、情報、知識など目の前にあるもの、人、現象に対して「何故?」と自ら考えることで生まれます。シータヒーリングも、セミナーを受けたら「なぜ?」と考えることが、シフトに繋がります。
膨大な知識を詰め込まなくても良くなっていく時代は、慣れれば生きやすい。答えは一つじゃないと受容され、自分が輝ける分野にフォーカスすることが許されるから。生きているうちに、こんな時代の転換期に立ち会えて幸せだな、と思いました。
みなさんも、昭和の集合意識、「こうあらねばならない」を手放し、柔軟性と適応する徳を呼び醒ましてみると、生きやすい世界で自分らしく輝く準備万端になるのではないでしょうか。







