シータヒーリング コミュニケーション

ルールを変えるには

先日26年前の殺人事件の被疑者が出頭したというニュースが流れ、大々的に報道されていましたね。30年前に私が大学生だった時には殺人事件などの公訴時効は廃止されておらず、学内でも時効があるのっておかしくない?という議論が何回もありました(講義の中でもね)。

確かに民法上の取引に関しては時効が必要だと思います。でも、殺人事件に関しては何故公訴時効なんてものがあるのかよく分かりませんでした。だって時効がない方が犯罪抑止力になりますよね。

ご遺族が無理やり憤りややるせなさに蓋をして泣き寝入りするという状態は、一つの区切りと言えば区切りかもしれません。ですが、それは感情に蓋をすることなので時効がない時間の流れの中でゆっくりと感情を整理していく必要があるんじゃないかと思っていました。人によって、感情整理に必要な時間は違いますもんね。警察含め捜査関連機関の仕事が増えるという点も改正前は議論に上がりましたが、いやそれが仕事でしょう?と思っていました。

刑法上の公訴時効が改正されたのは2010年4月です。ジャンプして、やったー!と叫んだのを覚えています。2009年から国会に対して民間の被害者遺族の会が働きかけ、国会を動かし法律改正に至ったと。当時の内閣は鳩山内閣でしたが、これは内閣のお手柄ではなくそれ以前からずっと国民が「この法律おかしくない?」と何十年も思っていた意志の力が働いたのだと思います。現に、この改正時は法改正と施行が同時、即日適用だったし、賛成多数ですんなり通りました。シータヒーリング的に見れば、集合意識の勝利です。被害者遺族の会の方々が、声を上げ国会や様々な人たちに活動を通して想いを「伝えた」からこそ、状況が動きました。

想いを伝えること

法律やルールは誰かを縛り付けるためのものでもなく、罰することがメインのものでもありません。ルールというのはお互いが心地よくあるために設けるものです。そして、ルールはまず話し合いで決めるものです。どこまでが譲れて、どこからが譲れないのか。それを相手の立場を尊重しながら話し合い、適切な境界線を納得のいく位置で引く、それがルールです。

国による法律、法令は全ての人を納得させるものではありません。ひとりひとり観点が異なるので、全員の総意としてのルールを設けることは現実的にあり得ません。だから、ルールがあってもそれが道徳的にどうなのか?という観点で内容を変えていくこともまた、時代の流れの中で必要になってきます。法律が制定された当初とは、状況も人々の集合意識も変化するからです。

でも、すべては「NO」が言えること、自分自身を尊重しようとする意志があって始まります。自分の想いを伝えずに、誰にも聞いてもらえずに流されれば、相手主導の流れの中で人生が進んでいきます。自分と他人は観点が違うのだから、分かってよ!と察してくれるのを待ったり、常識的に考えたら分かるでしょう?と憤る前に自分が何を思いどうしたいのか、何が心地よくて何が心地悪いのかを伝える必要があります。

これが、他者へ憤りを持たずに生きる術です。伝えること。
でも、伝えたら報復されちゃう…怖い…何が起きるか分からない…という恐れから伝えられなかったりNOを言えずにいると、ネガティブな感情は熟成されていきます。恨みに変わります。そして何よりも、自分自身が自分の心の声を聴いてあげていないということが、心の声を尊重していないということが、他者から尊重されない、聴いてもらえない現実を創り出します。

どうせ言っても無駄、と思って伝えられない場合は自分自身の想いを自分で尊重し、傾聴しているかどうかを点検してみてください。そう思っても良いのだと、自由意志を認めてあげてください。自分の声を聴き始めると、他者もあなたの想いを聴いてくれるようになります。そうして「伝える」「話し合う」が出来るようになると、お互いが心地よく在れる道徳的なルールを設けることが出来て、人生は平和になっていきます。

恐れがあるのは何故ですか?NOが言えないのは何故ですか?自分を尊重できないのは何故ですか?他者に伝える勇気がないのは何故ですか?

それは、いつ始まりましたか?何があって、あなたはその時そのネガティブな経験を通して、何を正そうとしていましたか?何を得ようとしていましたか?その経験を何のモチベーションにしようとしていましたか?

そして、その経験から何を学びましたか?
これらを掘り下げて、伝えられる自分に。あなたが解放されれば、自分の世界だけでなく集合意識を動かすことも出来ます。「コミュニケーションの徳」「自己傾聴」「本質的な自分を大切にする」に働きかけてみると良いかもしれませんね。