ありのままとは何か
ありのままで愛される、という文脈で使う場合「ありのまま」って何だと思いますか?
例えばコミュニケーションが上手く取れず空回りし、場の空気を読まない発言を焦りやエゴからする人がいたとして、それがありのままの自分だから愛して欲しい、と言われてどれほどの人が愛せるでしょうか。もちろん創造主は愛せます。無条件だから。
でもこの社会で生きていく際には、エゴから生じる自分勝手な言動に、周りは眉を顰めます。ありのままで良いとは、エゴのノーコントロール状態で、周りへの尊重や配慮という徳を一切使わず好きに振る舞う姿が許されるという意味ではありません。賢人マインドは自分の人生に必要だと感じない人には自分自身を愛するための適切な境界線を引くので、ジャッジすることも嫌悪することもありませんが、その状態の「ありのまま」は愛さないでしょう。
もしもこの状態の「ありのまま」で愛されるなら、愛してくれる人は同じ波動の人です。つまり配慮やリスペクトがなく自分勝手な人です。同じエネルギー同士で引き寄せ合うのはご存知の通りです。
自己愛
よくダウンロードで「ありのままで愛される」をする姿を見かけますが、今現在のありのままエネルギーで愛されることは、果たして本当に望む状態でしょうか。愛してくれる相手のエネルギーは(自分と同じようなエネルギーの相手は)心地よいでしょうか。
現状自分を愛しておらず、私はこれが出来ない、こんな自分は嫌だ、他人が羨ましいけどああはなれない、自分なんて無理、というように自分に納得出来ずジャッジしまくり、自己肯定感をゴリゴリ削っている状態の「ありのまま」で愛して欲しいという願いだとしたら、それは変化を恐れ諦めネガティブなエネルギーの自分を丸ごと受け入れて!という都合のよいリクエストではないでしょうか。自分自身を愛せないのに、それを他者に全部受け止めて愛せよというのは、叶うでしょうか。
ありのままとは、思うに「魂本来の本質的な素晴らしい存在の自分」だと私は捉えています。出来ないことも、諦めではなく魂の個性と捉える。魂はそれぞれやりたいことがあるので他人と比較して羨み出来ないと拗ねるのではなく、まず自分を否定せず、魂がやりたいことに気づくこと。自分の魂にとって不要なことが出来なくてもやりたいことを成すスペックは生まれる時点で持っているので、それが出来る自分を誇りに思えばそれで魂的には最高、と知り比較しないこと。
そこに気づき、今ある自分の素晴らしい側面を愛し、もっとこうしたいと思ったり、こうなりたい、やりたいと感じた時にそれをしようと決めて動くこと。そして、本質的なネガティブでない輝く魂の状態の自分を思い出し取り戻すために、私たちはワークをしています。その状態に変化していくことが、ありのままの自分になることで、その状態の「ありのまま」になって愛されるために、誠実に自分や人に向き合って変容した方が良いと思った部分は手放し変えていく。エゴを手放さず周りをすべて敵で、自分を傷つける加害者だという視点で世界を見ている時、本質的なありのままの自分からは切り離され遠くなっています。
他者への配慮
例えばコミュニケーションが下手で、変わりたいと思うならまず「変わろう」と自分で決意して、何をしたら上手くなるなかを考え、足りない徳があれば身につけようとする、そんな行動が必要だと思います。こうして自分をより愛するために徳を身につけようとする過程で、その時出会う「その時点でのありのまま」を受け止め愛してくれる「心地よい相手」が現れます。
波動が変わって、どんどん自分を好きになれば同じ波動の、自分を愛せる人を引き寄せるからお互い心地よくドラマを創造しないのです。
ビリーフワークはなりたい自分に変わるためにする自己愛への働きかけそのものです。ありのままで愛されるには、他者への愛や優しさ、配慮を持てるように自分も変化していく必要はあるということです。
「無条件じゃないじゃん」という人がいるかもしれません。先ほども言いましたが、創造主なら無条件です。でも私たちは魂をより素晴らしく成長させるための学びの旅路にいます。その学びの途中にある他者に、無条件で愛することを求めるのは難しいと分かると思います。悟るまでは自分自身すら無条件で愛せないのだから。他者に「悟っていてよ」と要求することは、自分には甘く他者には厳しく義務を押し付けている状態で、そこに配慮や自制心がありません。
時に、ワークから逃げたくなることもあるでしょう。自分の内面を見る事を避けたい時もあるでしょう。でも、自分を「見てあげる」ことをせず、他のだれがあなたをあなたが望むレベルで見て、見守り、変えてくれるでしょうか。皆それぞれ人生があり、あなたの人生はあなたが自分の1番の理解者で、友達で、パートナーです。
私は、必要な時は愛から指摘します。人が自分に向き合うことから逃げたいのを知っているから。だから本質的な部分を伝えて、逃げたあと時間薬でまた自分に向き合えるようになった時、何に取り組んだら良いのかを既に知っている状態から始められるように。
だから、指摘はジャッジではなく非難でも不快だからでもなく、愛から指摘します。もちろん創造主に何をどう伝えたら良いかを聴いています。創造主がゴーサインを出した時は、最終的にその指摘に向き合えるからです。私が急ぐ必要はなく、委ねて見守りその人の持つ力を信じるだけで良いからです。
セルフワーク
何故今日これを書いたかというと、この「委ねる」が不足したために、私は指摘したことに対して少し前から迷いが出ていたからです。そのため、アナトミー2日目の「骨の日」に背中ギックリになり、私の底流はこの迷いを正そうとしました(アナトミーの受講生さんへの指摘ではないですよ。もっと前の出来事をこの日に底流が正しました)
聴きたくない耳の痛いことを言われると、それが必要な真実であってもやはり痛い。だから拒絶します。その身体の拒絶反応を見て、言わない方が良かったのかな?と迷いが出ました。創造主に相談したら委ねれば良いものを、自我で迷ったんです。ワークして底流は何故背中の痛みをもたらしたのかを聴きました。
「自分のした決断に胸を張る」「前屈みに寄り添うのではなく、それが愛からの動機で言ったことなら胸を張って、あとはゆだねる。相手を待ち相手の潜在的なポテンシャルを信じ成長を見守ること」という創造主のメッセージを突っぱねて自我で迷った状況を、底流がいいかげんにせーよ、アナトミー中に同じ迷いを持たないようにね、と正そうとしたんですね。
要するに、迷いや後悔があると、創造はメッセージを送っているのに自我で受け取らず突っぱねるよ、ということを私の底流は教え正し、クラス中は受講生さんのためにエネルギーコントロールをしようとより強く決断するメリット、学びを与えていました。
私もまた、創造主のメッセージを聴かないという状態になっていて、受講生さんと同じでした。まだまだですねぇ。これ、引き抜き置き換えを誰かにする際、自分のビリーフを相手に投影してしまうと、自我でワークしてしまい創造主の純粋なメッセージをキャッチ出来ないので、セッションではやらないよういつも誠実であろうと思考をコントロールしています。でも自分ごととなると、やらかすんですよね。
というわけで、ワークして寝たら一晩で治りました。クラス中みなさんにグループヒーリングしていただいたり、個別に愛を送っていただいたりして助けていただきました。感謝です。
骨のヒーリング
物理的には、リーディングすると仙骨が左にズレており、腰椎が引っ張られていて、神経圧迫がありました。骨の位置がズレれは筋肉も引っ張られるから背中に痛みが。
なんで仙骨がズレたのか?年末年始ずっとセミナーとセッションで座りっぱなしだった、というのが物理的な原因。仙骨だけでなく、座ったままだと背中が丸まり、胸が開かない。要するに背筋を使っていない状態。
自覚はあったので、胸を開かないと酸素を取り込む量が少なくなるので意識して開いて呼吸していました。が、無理に開いて鈍った背筋にダメージが。
人体構造的な原因は分かりました。では何故、私の底流は痛みを現実化したのか。そこをワークしました。なるほどねー。骨や筋肉は友好的でヒーリングが効きやすいので、一晩で調整できたことにも感謝です。ありがとう私の骨、筋肉ちゃん。







