シータヒーリング 自己犠牲

境界線を引かないことは、自分の人生を明け渡すことに繋がっていきます。「人を助けたい」この気持ちは素晴らしいもの。他者への思いやりです。けれど、自己犠牲してまで誰かを助けることは、「自分への思いやり」を欠いている状態。それは落胆や怒りに繋がっていきます。人にも自分にも同時に思いやりを持つことで人生を心地よくする、このバランスのとり方をシェアします。

なぜ自己犠牲をするのか

この世界を「何かを差し出さなければ何かを得られない世界」と無意識に捉えていると、自己犠牲に繋がっていきます。幼少期に無条件で受け止められ愛されてきた人には無い感覚だと思います。

勉強が出来たら認めてもらえる。親の望む姿になれば愛してもらえる。そんなところから始まるこの「取引」の構図。愛情はビジネスではないので本来対価は発生しません。生きる権利として誰もが持っているもの。

でも、脳が出来上がる成長期にこの構図で愛情のやり取りをしていた場合、「誰かの役に立てば受け入れてもらえる」「誰かが喜んでくれたら自分に存在価値を感じられる」と、そこに「自身を差し出す」エネルギー、つまり過剰な自己犠牲が発生します。

だから、自己犠牲をするとしんどくなります。対象を変えて幼少期の渇望をやり続けているからです。思いやりだったはずのエネルギーに、自分の渇望がトッピングされた瞬間、それは変質します。

過剰な思いやり

人の感情は思い通りになりません。自己犠牲を担保に相手に尽くしても、望んだ愛情や見返りを得られる保証はどこにもありません。ただ自分の希望的観測で自分を差し出している状態です。

そして人は、思っていたリターンがないことに憤りを覚え始めます。
「こんなにあなたのためを思ってやっているのに!」
「ここまで頑張ったのに何故分かってくれないの?」

これは、感情の押し付けです。誰かに思いやりを向けることは尊いことです。が、相手が望んでいない過剰な感情をぶつけてリターンがないと怒っているのは自己犠牲の着ぐるみをきたエゴです。

手を出しすぎる

誰かへの「良かれ」という行動にしんどさを感じたら、次のステップで状況を点検してみてください。手を出し過ぎてはいませんか?

・助けようとしているその状態が苦しい、憤りを感じる、虚しさを感じる、という状態であれば「自分への思いやりが欠けていないか」を点検する

・どこまでだったら助けても自分がしんどくならないか、その境界線をじっくり考えてみる

・「それは相手が望んでいることか」と程度を含め見直す

・「その手助けは相手のためになっているのか?」と自問する。相手の学びの機会を奪ってはいないか?と自分に問う

自由意志

人にはみな、自由意志があります。そして、その人の人生はその人が責任を持っていて、誰もが自分で選択し、学び、成長していきます。

ここに過剰な思いやりで介入したらどうなるでしょうか。
子育てで起こりがちなのが「あなたのためを思って」という大人目線からのアドバイス。こどもよりほんの少し人生の先輩である親は、何をしたらリスクがあるのか知っているつもりになって「●●しないと困るよ」というアドバイスをします。

でもこれは、親の「恐れ」でしかありません。親自身が、こどもの将来を勝手に恐れて道の上の石ころを全部どかそうとしたり、安全(と思いこんでいる)レールを敷いてその上を歩かせようとしているだけです。怖いから。

でもこどもは恐れなど持っていません。幼少期は「決断」をどうやってすればいいのか、決断したことに対してどう責任を取ればいいのか、失敗も時にはしながら学んでいくステージです。

この時に、選択肢を与えられず親の恐れで創られた枠の中で生きることを強いられると、「責任」の定義観点がズレます。学びの機会を奪われるからです。

同じように、あなたが誰かの人生に過剰に介入し助けようとすることは、その人の人生の学びの機会を奪う可能性もあります。

自分の人生を生きる

痛みも失敗も、自分で決断したことの先に在る場合は再び立ち上がれます。自由意志を自分で尊重して決める時には、自分への愛があるから。自分への信頼があるから。意欲と目的があるから。ベースにそれがあれば、傷ついても立ち上がってこられるんです。

立ち居上がれないくらいボロボロになるのは、自分への信頼もチャレンジする意欲も何も持たないまま、誰かが敷いたレールを無防備に歩かされてしまった場合です。

なぜなら「何故それをしなければならないのか」という部分にモチベーションがないからです。意味も意図もなく歩くことは、あてどなくさ迷うこと。そして「これをやれば愛してもらえる」というモチベーションに変換されて進んでも、取引的な愛しか向けられない親や大人が愛をくれるでしょうか。

あなたは、あなたの人生の道を歩いていい。
だれも責任は取れない。あなたの人生の上で、学び感じ進化していけばいい。

他者も同じです。他者の人生は他者が自由意志で決定し学んでいき責任を取る。これが、バランスをとるうえでの大前提の思考です。

アファメーション

では、適切な境界線を引けるようにアファメーションを置いていきます。繰り返し言葉に出すことで脳は「そうなっている状態」にチューニングされていきます。シータヒーリングをご存じのヒーラーの方はご自身でダウンロードしてください。

私は創造主の定義観点で自分への思いやりを持っています。
自分への思いやりを持つことは無条件で許されています。
自分を思いやっても安心安全です。
罪悪感を抱くことなく自分への思いやりを持てます。

私は創造主の定義観点で適切な境界線を知っています
自分を思いやりながら他者を思いやることができ、そのバランスを知っています
人に自分の想いを伝えることは可能です
人にじぶんの気持ちを伝え、受け止めてもらうことは可能です
私は過剰に恐れることなく、自分の考えを伝えることが出来ます
相手の反応に左右されることなく、自己愛を持つことが出来ます
相手にとってベストな望みを聴くことが出来ます
自分の心の声に耳を傾けることが出来ます

すべてこれらの方法が分かっていて、それが可能で既にできているという感覚を持っています。