
エネルギーを奪われる
エネルギーを他人に明け渡さない、という話を昨夜寝る前に息子としました。シータヒーリングでは、エネルギーを奪われるというワードが登場しません。それは、一方的な強奪など存在しないから。呪いと同じで、奪われる側に潜在意識上の合意(罪悪感や同情心などの受け皿)がなければ成立しないからです。加害者と被害者の構図がないからです。
けれども、表面的に見れば「奪われる」という状態です。息子が昨夜言いました「ママ、ふくらはぎが痛い」。最初に痛くなった日を覚えてる?と聴くと「じいじが死ぬ半年くらい前」と言いました。「夜痛くて眠れなくて、泣いて起きた時、次の日の朝じいじが死んだから、今日より前は12月くらいに今と同じ痛みだった」と。
この話をいつかしなきゃならない、と数ヶ月前に思いましたが、息子の心の成長速度や自由意志を考えて、創造主に「息子が受け止められるタイミングで話をさせて」とリクエストして、待っていました。
親族とはいえ、いやむしろ親族だからこそ、エネルギーを簡単に奪っていきます。弱っていたり、死に直面していたら尚更だと思います。助けて、と来られたら、同情心があればエネルギーを渡してしまうからです。
自己犠牲
息子に伝えました。生命エネルギーは、自分が生きるためにあるもので、自分の分をあげて、自分の足が痛くなったり体調崩すのは、自己犠牲だよと。自分を犠牲にして誰かを助けることは、本当の救済じゃない。野良猫が庭に来て、エサをあげたら次もその次も、ちょうだいって来るでしょう?でもエサを買うお小遣いがなくなって、もうあげられないってなったら、野良猫は恨むでしょうね。「前はくれたのに何で?」って。人も一緒。家やお金がない人に、可哀想だからと自分の食べ物やお金をあげたら、1日くらいは助けられるかもしれない。でも長期的には何も解決しない。自己犠牲をして、短絡的な解決をしても、本当には助けてあげられないんだよ。それどころか、「だったら最初から手を差し伸べるな!」って怒る人もいるし、もっと図々しい人なら「一度助けたのなら、最後まで面倒みろよ!」ってなるんだよ。日本の政治がそういう状態になってるよ。
本当の「助ける」は、自己犠牲をしていたら絶対に出来ない。自分が元気で幸せで、お金もいっぱい持っていて、満たされた状態でいて初めて他人を助けられるんだよ。自分がお金持ちなら、家やお金がない人を長期的に助けるために政治に働きかけたり、寄付したりできる。でも自己犠牲していたら、自分の分が無くなったらおしまい。中途半端に放り出すことになる。最後まで責任取れないよね。
責任は、自分の人生に対してだけ取るもの。誰かの人生の責任は取らなくて良い。みんな自分のために生きていて、自分の問題は自分で対処するのが基本。だけど、自分の人生の責任を取れる状態なら、その上で誰かを助けてあげられる。見極めてね。
地球に生まれて来た理由
じいじが死にたくないよーって苦しんでいたら、可哀想に思うよね。でも、自分の死と向き合う時間を、じいじは自分でじっくり味わって、人生を振り返る必要があったし、死の扉をくぐるかどうかの選択はじいじのもの。孫だからと、自分を犠牲にして助けることは、じいじが向き合わなければならないじいじの人生に介入することになるんだよ。エネルギーをよこせと言われてあげたら、死んだとしてもスピリットになるだけだから、同じようにエネルギーを渡し続ける状態になるかもしれない。今そうなってるよね。君の人生は、じいじにかかり切りになるためにあるの?誰のために生きるの?何しに地球に来たの?地球に生まれて来た理由は何?創造主と約束してきたよね、成し遂げることを。そのために与えられているエネルギーを、明け渡して良いのかな。明け渡すんじゃなくて、自力で助けるんじゃなくて、どうしたら最善か創造主に聴いて、聴いた方法で助けてあげられるんじゃないかな?
話始めた最初は、息子はそれでも助けたいと言っていましたが、何しに地球に来たの?あたりで顔つきが変わり、もう明け渡さないと言いました。じいじに納得してもらう前に、創造主のとこに言って、僕は自分の人生に責任を取りますって宣言しておいで、と言ってから、創造主の定義観点の「人生の責任」を一致させ、必要なダウンロードをしました。こどもは瞬間ヒーリングが効くので、足、もう痛くない!と言って寝ました。そのあとは私が創造主にどうしたら良いか聴いて、言われた手順を進め、一件落着。人間経験が少ない息子でも自己犠牲をするのは、遺伝子だと思います。私側は綺麗にしてありますが、主人はワークしてないし、日本人のY遺伝子はお人よし遺伝子(自己犠牲遺伝子)が高確率で入っています。
自己愛
この話し合いを通じて、誰もが自己犠牲せずに自分を愛するエネルギーを満タンにして、他者に愛を分かち合う(助ける)というやり方で手を取り合っていくことが、アセンションだなと改めて感じました。自己愛を大切にする生き方のヒントになれば幸いです。