忘れられない人
新年の始まりに。
小野田少尉を知っていますか?私の人生で、忘れられない人です。戦争が終わってもなお、29年もフィリピンに潜伏し続け、サバイバルしながら任務を遂行し続けた最後の日本兵です。特殊スパイ任務を遂行した日本人です。
小野田自然塾という、少年少女に自然の中でキャンプを体験させる財団を彼が作ったのは1989年。この自然塾が設立される何年も前に、その前身の「サバイバルキャンプ」に小学生の私はぶち込まれました。あまりの反抗的態度に手を焼いた親に。
キャンプは何日も親元を離れ、船で移動しながらサバイバル生活を送ります。今の自然塾は多分、時代に合わせて柔らかくなっていると思いますが、当時は塾なんてなまぬるいものではなく、軍隊生活のようなものでした。
救難や情報伝達の手旗信号を覚えさせられ、厳しい起床管理と規律。ハードな船内の清掃。集まって来た子ども達の中には、私のように反抗的で「まともになって帰って来い」という親の意図で来た子ども達もいました。
1人、いちばん年上でおそらく最年長の男の子がいましたが、彼は男版の私そのもの。規律を乱しては容赦なく体罰をくらい、ゴリラみたいな日焼けしたマッチョなスタッフに毎日毎日壁までビンタで吹っ飛ばされていました。
私は女児だったので叩かれることはありませんでしたが、毎日説教されていました。そこにいる事が嫌で嫌で、何でこんなことしなくちゃいけないんだ!と怒り狂っていたので、素行もそりゃあいつもに増して酷かったのです。
今なら分かります。サバイバルなので、一瞬の気の緩みが事故に繋がる。スタッフの話をきちんと聞かないイコール命の危険。何人かの子が注意を聴かずふざけていて海に落ちたり、怪我をしました。スタッフも、スタートしたばかりのサバイバルキャンプであり、余裕がなかったのだと思います。子どもの命を預かるわけだから。
話を聞いてもらえる
旅も終盤に差し掛かったある日、上陸した先の広い野原で、小野田さんが記念碑のようなものに1人で腰掛けていました。いつも周りに子ども達がいるのに、その時だけは1人で。
私は、小野田さんに近づいて話始めました。旅が嫌なこと、親は私を悪い子だと思ってここにぶち込んだこと、何をやっても怒られて、自分ではそれが悪いことだとは思っていないのに、頭ごなしに怒られて、理由が分からない自分が嫌いなこと。分からないから何故そうしたのかを反論すると、何が悪いのか説明はしてくれなくて、感情的に怒られること。
小野田さんは何を話すでもなく、隣に座ってただ、私の頭を撫でていました。私が泣くと、膝の上に乗せて優しくうなづいていました。目は合わず、小野田さんは遠い目をしながら海の向こうをまっすぐ見て、なんとも言えない憂いを帯びた表情をしていました。悪い子にわざとなっているわけではなく、本当は誰も怒らせたくないしキャンプで怒られる行動をしたくないこと。感情が溢れて泣き続けると、奥さんがやってきて、ぎゅっと抱きしめてくれました。奥さんも何も言わず。
この時間は、私が「話をきちんと聴いてもらえた」原体験でした。良い悪いを判断されることなく、ただ気持ちを伝えられる経験でした。その後ティーンエイジャーになってから、小野田さんの過酷な人生を知りました。あの優しいおじいちゃんが、壮絶な戦争と殺戮を経験していた。人生に対する後悔や戦後日本に対する「これじゃいかん」という危機感もあったはず。
復員し、様変わりした日本に馴染めずブラジルに渡り、それでも後年日本に戻って来て「健全な精神を持った日本人を育てる」ために青少年育成キャンプを始めた。あの時、小野田さんは何故私に何も諭さなかったのだろう?何故海の向こうをじっと見ていたんだろう。
それを考えた時、私が訴えた「愚痴」は、生きているからこそのもので、親がいること自体が当たり前ではないんだと気づきました。環境に対する恨み節も、平和の上に生まれる。今もし日本が戦時中ならば、生きることに必死で自分の感情をそのまま誰かに伝えたり、何故?と問い続ける時間もなかったはず。
だからといって理不尽さに甘んじるということではありません。ただ、小野田さんから見たらあの時の私や日本人はどう見えたんだろう?生かされていることの奇跡やありがたさを知らない現代人が増えたからこそ、サバイバルキャンプを始めたんじゃないか、とやっと育成キャンプの意図が分かった気がしました。
「心」の在り方は人それぞれだと、ジャッジせずに聴いてくれた小野田少尉の姿から私は日本人の心を受け取る事ができました。何があっても自分軸で自分がどう感じるか。他者の「意見」は己の感情の方向性を決める決定打にはならない。それが真理ならば在り方の方向性の拠り所となるでしょうが、1人の人間が誰かの抱いている感情を主観でジャッジし、方向性を示せるものではない。それは、今ヒーラーとして在る私のベースになっています。
ディバインタイミング
あれはディバインタイミングだったのだと思うし、そこに安くはない費用をかけて行かせてくれた親に感謝です。もしかしたら、これを体験するために、「悪い子」と親に私が言わせていたのかもしれません。葛藤を経験していたのかもしれません。
まぁ、この後「私は間違ってない」と変な方向に暴走し、より一層頭ごなしの親には反抗的になりましたが、今でもそれは私に必要な生き抜くための術だったと思います。心を明け渡さなかった自分を褒めてあげたい。ただ戦うことで自由を得て、戦うことで在り方を守るというやり方は平穏ではなかったから、シータヒーリングを始めてやり方を変えるまで、ちょいちょい衝突ドラマはありましたけども。どんだけ「自由とは」「自分を生きる」を学ぼうとしていたんだ幼い頃から私は。魂よぉ…学ぶタイミング、年齢設定が幼な過ぎやしないか?
経験は、後悔する必要はない。どれもが自分を生かすための必要な行動だったから。やり方をそれしか知らなかっただけで、もっと良いやり方があるなら変えれば良いだけ。後悔は学びに変えれば良いだけ。
だからもし、今手放せない過去の記憶の干渉を受けている人がいたら、その経験を別の角度から観て、学びを見つけてみてください。きっとそれを学ぶために、自分の底流やハイヤーセルフがその行動を自らしていたことに気づきます。そして、今日まで生きて来た行動の連続に誇りを持って、自分自身を許してください。やりたかを知らなかっただけだと。
マニフェスト
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①リストアップ(書き方のコツなどもお伝えします)
②ペアワークまたはセルフワーク/ブロックの掘り下げ
③マニフェスト誘導(観届けのコツをお伝えします)
新年の始まりに、良いセルフイメージを作り、誰かと一緒にマニフェストすると叶いやすくなるというエネルギーを使い、お互いにサポートしあう徳を使いましょう♪
締切:1/1(木)23時
「どうしようかな・・・」と迷った時は、どうしたいのかの本心を聴くチャンスです。恐れより本心が望むことを優先する、それがマニフェストのスタートです。







