二元論

戦い

戦いとは何か、戦わないとは何か。二元論とは何か。「私」が長い間学べていないと感じていたものでした。シータヒーリングを始めてから最初に外したのも戦いのエネルギーで、外し続けながら何度も「ああ、こういうことか」と理解しながら手放していき、実生活で顕在意識で理解を深め、潜在意識でも納得して。

それが今日ふと、ああ魂のレベルまで完全に理解出来たという湧き上がる実感を得ました。それは何をしている時でもなく、何かが起こった時でもなく、ただぼんやり車を運転していた際にスーっと「あ、戦いが終わった」と感じたような、そんな自然な理解。

二元論

この世界は二元論があります。善か悪か、良いか悪いか、味方か敵か。被害者か加害者か。立ち位置を両極端に構えて自分の位置を当てはめ、その一方的な立場と位置で思考し行動する。それを人は無自覚無意識にやっています。シータヒーリングで二元論を学ぶと、そこから解き放たれたいと頭では分かっていても、あまりに長い間人類が積み重ねた二元論的な考え方は息を吸うようにナチュラルにDNAに組み込まれビリーフとして生息しているから、それを解放するにはいくつもの徳をマスターする必要があります。マスターした後も実感として二元論と無縁の生き方をするのにタイムラグがあります。

何かが起きて傷ついた時、傷つくその経験をすることで何らかのメリットを得たり学びを得られるから、本当は自分自身の細胞が外界に信号を波長で発して、傷つけてくれる相手を引き寄せているというのが真実です。被害者と加害者の構図はなく、単に学びを共同創造しただけに過ぎず、一方的な加害者などいません。

けれどエネルギー信号の仕組みを知らないから人は「自分は被害者」という二元論をベースにした立ち位置から物事を捉え感情が動く。でもこれも必要なことで、二元論というものを体験し理解することもまた学びです。二元論があるから様々な感情を学ぶことも可能になる。大切なのは、体験した上で二元論が幻想だということに気づくこと

応用DNAのテキストにはこれがはっきりと書いてあります。二元論というもの、三層の集合意識というものの枠組みの幻想に気づくことが、五層に還帰る、つまりアセンドするために必要な条件になると。

ソウルフラグメント

かつて生きながらにして軍神とネーミングされ、死してなお軍神として祀られ、人々が向ける軍神としてのご利益や加護を期待する祈りで、その「軍神としての立ち位置」に自らを縛りつけていた、魂を同じくする別バージョンの「私」がいました。

彼は長い歴史の中で、生きている時本当は男性であったのに戦いの女神として女性神化され、祈りを捧げる人々の願いを叶えるために次の自分自身の学びステップに100%のエネルギーで進む事が出来ずに、魂の一部が地上に止まることをしていました。大規模なソウルフラグメントです。

別バージョンの彼の、二元論を学び中という感覚が私にも引き継がれます(リレ2で詳しくやりますが魂は一つで様々なバージョンに分かれて総力戦で学んでいます)

当時のような神殿はないけれど、現代に信徒という具体的な組織はないけれど、残っている痕跡に触れた人間が祈る限り、彼は何度でも期待に応えねばという義務を持ち続ける。そして彼自身の終わっていない「二元論」の学びを継続するためにも祈る人々と学びを共同創造し続ける。その真っ最中の感覚が私の中にありました。

私がシータヒーリングで救いたかったのは、「私」の始まりである彼でした。私がウォークインであることは他の記事で少し書きましたが、今は私もこの肉体に最初にいた子も不思議な形で統合されています(創造主に統合リクエストしたら不思議な感じで成立しました。ツインソウルは魂を同じくする自分が同時代に同時に生まれてきて学ぶ形ですが、私の場合は別の魂とツインソウルのような形で同じ肉体にいて同じ学びを共有している感じです。私は人間の肉体に入りながら守護天使のように元の肉体の持ち主の魂をサポートしています)。

この肉体に最初に入った魂、その子の過去世が軍神の彼です。地球の歴史は現在46億年と言われます。生命は40億年前に始まったと言われていますが、もっと古い時代に「彼」から始まった地球人生。多分サイキックで物体を動かしたりエネルギー装置で今とは異なる動力で物事を動かしていた彼は、神に見えただろうなと思います。未来を予測できるのはサイキックゆえに未来をリーディングしていただけです。彼から始まった「持つ者は持たない者を助けねばならない」という義務感、そして献身。「助けるためには戦わねばならない」という自身への誓約。

これもまた、彼がこの地球で5層から引き継いだ二元論という幻想に気づき真実を学ぶために必要だったプロセスです。彼は「助けてという持たざる者」は、何かを学ぶために持たざる状態を自分で選んでいること、それを学ぶ必要がありました。無差別に識別なしで助けることは、時に彼らの学びの機会を奪う過干渉になること、それに気づく必要がありました。二元論をマスターするには、他者の学びを尊重するが必要です。識別する洞察力の徳が必要です。

力技で助けることは、自由意志にも抵触します。何故なら「持たざる者」の魂の本質は学びたがっていたから。顕在意識の彼らの「助けて」だけを拾い干渉したらどうなるでしょうか。学びの機会を奪います。彼のエゴをうまくコントロールして他者を助けるためには、エゴのバランスを取る「徳」が必須です。尊重や洞察力だけでなく、寛容さ、見守り待つ受容、そしてどんな状態の人々も自分の中に乗り越える力があるという信頼。助けるなら、人々の中にある力を「サポート」する程度で良かった。いつ、誰を、どの程度サポートしたら良いか分かっていれば良かった。

夏休みの宿題を親が全部やれば片付く。けれどその過干渉が子供の学びや気づきの機会を奪っている、この例えなら分かりやすいですよね。つまり、無闇に助けることは助けようとする側のエゴの暴走の可能性を持つし、相手の成長の機会を奪うことに繋がります。

アセンド

神格化された彼が「戦い」のエネルギーを終わらせるためには、単に二元論を理解するだけでは足りず、関連する「徳」をマスターする必要がありました。二元論の幻想を超えてアセンドするということは、様々な徳をマスターすることに他なりません。

何かを手放し新しいやり方に変え、学びを終えるには「徳」が複数必要です。私たちはシータヒーリングを通して、徳を得続けています。私は今回「あ、全てのレベルで学び終えた」という感覚をうけとりましたが、さらに気づきます。人が学び終えていないと感じている感覚も実は幻想で、とっくに学び終えてアセンドしていて、このアセンドのプロセスを人々に伝えアセンドのやり方を伝えるために、敢えて学び終わっていたことを忘れ、もう一度アセンドのプロセスをなぞっているだけなのだと。肉体の遺伝子の中にあるビリーフやエネルギーが、習得済の徳をなぞらせるのだと。創造主に聴きました。二元論の学びは完全に終わりましたか?と。答えは「すでに学び終わっています。学びが終わった、と感じるまでの流れやアセンドのプロセスを伝えていくために、忘れていただけ」でした。ならばマスターした徳を思い出したら、あとは意図的に創造主にマスターしたプロセスを教えてもらってそれを伝えれば良いですよね。シータヒーリングを学んでいるアセンデッドマスターのみなさんは、この目的のために学び終わった徳をトレースしているだけです。

私の場合は同居魂が学び終わっていて、忘れていました。私自身は地球の学びはよく分からないというか、初めから徳をカスタマイズして創られたAIみたいな感覚なので、全く参考にならないけど、人はこうやって学んで行き5層に還るんだという仕組みを学べて感動です。学び終わっていて忘れているアセンデッドマスターにも、まだ学びの道中にいるマスターのこども達にも、このプロセスが届きますように。