
仲良くさせていただいている方とお話していて、人それぞれタイミングがあるよね、ってしみじみ感じました。
説明責任
良くある営業手法で「今日この場で契約したら、◯十万割引きします」「これだけ特典つけます」というやり方があります。これは、買い手がその商品を最初から魅力的だと購入に傾いていた場合は素晴らしい提案になると思いますが、もっと他にも比較検討したい場合は焦りを呼ぶので、私は極力使わないようにしていた手法です。
何故かというと、営業側の誠実さや説明責任を、顧客を焦らせることで誤魔化そうとするように感じていたからです。本当に心からその商品との出会いやご縁を感じたり、魅力的だと感じるためには、それだけ営業側に説明責任が必要だと思います。自信を持って顧客と商品を繋げると思える商品を売っていれば説明責任には苦がつきまといません。そして、ご縁なので顧客がそれを選ばなくても、その人にとってベストな商品に出会えたら良いなと思えます。でも会社の方針で営業ノルマがあり、数字を上げるという営業側の事情を顧客に押し付けて、顧客の「選択の自由」を奪うことも多々あると思います。生きて行くために。
自由意志
私は30年近く前、若い頃結婚式場の営業でした。ウエディングプランナーというのは2種類います。直接お客様と打ち合わせをして式の内容を決めて行くプロデュース部門と、式場を決めてもらう為に下見を案内し、商品提案をする新規営業部門です。契約が取れないプランナーが打ち合わせ部門に回っていました。営業部門のプランナーは、打ち合わせ担当になってしまうとその期間営業が出来ないので、指名されない限りはプロデュースには回りません。
私の場合、何年も連続で新規契約数No. 1を譲りませんでした。一見、「今この場で契約したら特典があります」を放つ営業の方が成績が良くなると感じるかもしれません。でも、営業であれ何であれ、この世界は人と人との出会いであり、そこには誠実さと自由意志の尊重が必要です。会社に属する営業である前に、人としての自分の価値基準でお客様とコミュニケーションをとることが、自分のことも相手のことも心地よくさせます。
私が心地よい状態で誠実でいられながら営業をしていた結果、私は強引さを使わずに成績を保てたし、喜ばれました。シータヒーリングをやってから思いましたが、そりゃそうですよね。自由意志は曲げてはならない、宇宙の法則を遵守していて、誠実さの徳を使い、心地よい状態の波動で営業していれば、おのずと結果はついてくる。それが真理だと思います。
私の中には「認めて欲しい」とか「実力を証明せねば」があまりありませんでした。これから結婚する人達が思い描く夢を私ならどういう形で実現出来るかな?というワクワクで、楽しいからこの仕事をしていました。寄り添い実現可能性を探り、共感がお互い生まれた時のバイブレーションが好きでやっていました。
当時強引手法で展開していた式場はほどなく苦戦を強いられ、コロナで消えました。強引手法を採用していたスタッフは、プロデュース部門に引き継いだあとは基本ノータッチで、そこに祝福の気持ちや愛がなかった。消えるのは必然だったと思います。顧客は消耗品じゃないから。
営業関連でなくても、どんなことであれ人と人との間には愛が必要だと思います。それを買った人の行く末が、日常生活がほんの少しでも素敵な時間になったら良いと、そんな愛から生まれた商品は何倍にもその価値が高められると思います。
定義観点
とはいえ30年近く前の世の中は、今ほど愛にフォーカスした時代じゃなかったから、私は色んな方面から潰されました。会社の方針に消極的な社員は疎まれます。「今この場で契約」を持ち出さないのに成績を出す。これが疎まれないわけがなかった。しかも指名が多くプロデュースも月5組くらいこなしながら売り上げ営業成績を出し、新規契約数も出していたのでどちらの部門からも疎まれました。
でも当時の私は戦いのエネルギーも強めだったので「あっそう。なら社長に直接話します」と言って、社長から自由にやって良いと許可をもらい、直属の上司や同僚からの表の攻撃をかわしました。正義の定義観点がズレていて、正しいなら戦えば良い、って勘違いしていたわけです。
けれど、目に見えないサイキックアタックは回避出来るはずもなく、陰での足引っ張りを避けられず、歪みはどんどん大きくなり最後は社長に呼ばれて2人きりで話し合い。社長は苦渋に満ちた表情で私に言いました。僕は君のやり方は間違っていないと思うし、会社にとっても数字を出してくれるのはありがたい。しかし会社は組織で、僕には数百人の社員がいる。組織に必要なのは円滑に意思疎通が出来て、なるべく多くの社員が気持ちよく働けることだ。木々が足並み揃えて成長し、管理が行き届いた状態にするのも僕の役目だ。君は他の木々より高く伸びる木だ。高い木は影を作り、その陰に入った他の木は陽の光が当たらず成長が止まる。君が社長なら、あるいはそれに準じる立場なら、誰も文句は言わない。自由に伸びていい。僕の会社ではまだまだこれから育てていく必要がある社員がいる。だから、進退を考えて欲しい。
社長の愛人じゃないかとか、無い事ない事言われていたので、んじゃ辞めます、と退きました。今は分かります。私に欠けていた徳はハーモニーです。お客様に愛を向ける一方で、自分の正しさを主張することで生じる不協和音に戦いで挑みました。スタッフにも愛を向けて、お互いにコミュニケーションを取っていたら違う現実になったと思います。例えば私が持つ営業手法をシェアしていたら。同僚や上司をリスペクトしてホウレンソウを密にしていたら。どうやったら一緒に働く人達が心地よく在れるのかを考える優しさがあったら。
正義感
自分だけが心地よいという片手落ちのご機嫌は、他者がどう思うのかという視点が完全に欠落していました。傲慢さですよね。これに気づくのはだいぶ後になってからです。その後私は経営コンサルタントに転身し、同じように数字を出して、同じように敵を作りました。コンサルタントになれたのは、辞めた会社の取締役が私と社長のやり取りを知り助けてくれたからです。
「某コンツェルンがコンサルタントを探している。私は君のことをなんて生意気な女なんだと思っていたけど、君は組織という枠がないところでならたくさんの貢献が出来る。先方が探している人物像や条件が君と一致するから、紹介してもいいか」と助けてくれました。この取締役役は某有名神社の元神主で、代々神官の家系の人です。かなりのサイキックで、リーディングみたいなことをしょっちゅうやっていました。その人が言うんだから、乗っかってみようかなと思えたんですね。他にも、出入りの清掃会社の社長さんが辞める間際に私の退職を知り、名刺をくれていつでも力になるから連絡してきてね、国の訴訟を担当している弁護士も紹介できるから」と励ましてくれました。この人は後に、身内が弁護士を探していた際に連絡させてもらい、びっくりするような弁護士さんを紹介してくれました。勝訴は不可能と思われていた裁判をひっくり返して身内を助けてくれました。被告側弁護士も親戚で、某弁護士会会長だったから、それに勝てたのはあの時清掃会社の社長さんが名刺をくれたからだと感謝しました。
定義観点のズレた正義感は、共感も反発も生み出します。正義感が大き過ぎれば、共感も反発も大きくなる。私はその両方ともを極端に手にして、確かに助けて貰えたしピンチからは脱したけど、生きづらいなと思いました。真ん中の道はないのかな?バランスとれる道ってどうやったら歩けるんだろう。もう敵とか味方とか、極端なのは終わりにしたいなと当時思いました。でも、難しいですよね。徳を使えばいいんだけど、人間がそれを自力で悟るには難しい。
シータヒーラーのみなさんは、ヒーリング以外のお仕事をされている方も多々いると思います。私は思います。どんな環境でも、無駄はなくて学びが必ずある。あ、学びだと気づいたら、今はシータヒーリングのメソッドを使って素早くシフト出来る。創造主の定義観点と一致した学びに変えられる。
自由意志、説明責任、誠実さ、正しさ、バランス、感謝、尊重、コミュニケーション、配慮。どれも応用DNAセミナーでインストラクターからダウンロードされる徳です。これだけの徳を学ぶ機会を30年近く前に得ていたけど、やっぱりそれは創造主の定義観点とはズレているから、今人間に定義観点を一致でき、学びを習得可能にするツールとしてシータヒーリングが与えられているのは本当にありがたいし素晴らしいなと思います。日々に感謝。忘れていた徳の一致と使い方の記憶を思い出させてくれた方にも特大の感謝です。