シータヒーリングで変化した現実

パワーを使うことへの恐れ

シータヒーリングに出会ってから、正直最初に衝撃を受けて救われたのが、「自分のパワーを使うことへの恐れ」から解放された時です。

それは基礎DNAセミナーで習う「呪い」について。幼少期の体験で、私は自分が殺人者になりうる人間だという罪悪感を抱えていました。小学校3年生くらいの時、受験対策の塾に通っていました。そこは送迎バスで通うところで、様々な学年の子と乗り合いになります。

当時の私はお嬢様で、身につけるものが母の意向でこども用ハイブランドのものばかりでした。ある日、当時では珍しい、キラキラしたピンクのミュールを履いて塾に通ったら、四年生の女の子に執拗にいじめられました。何その靴!全然似合ってない!とか、母の手作りのバッグについてもダサい、勉強しにくるのに何でそんなカバンなの?とか、そんないちゃもんから始まり、それ以降顔を合わせるたびに他の上級生と一緒にわざわざ絡んで来られました。

死ね!と言われた時、プツンとキレた私は、心の中で「お前が死ね」と強く強く思いました。その時、私に向けられていたエネルギーがその女の子に向かって戻って行く感じがして、スッキリしました。

2、3日後の塾の時、私は塾を休んだのですが、その日の翌日の朝刊に、その子が死んだという記事が載りました。母が「この子、あんたのこといじめてた子じゃない?」と。

読むと、塾の送迎バスから降りて、母親のもとに走って駆け寄る時、その子は縁石の上を走っていて、バランスを崩して車道側に転倒し、乗って来た送迎バスに頭を轢かれて亡くなったと。

私は、呪い返しをしてしまったんだ!と震えました。当時ロケット花火の軌道を念じて変えたりしていたし、幼稚園くらいから予知夢を見たり強く念じたことが現実化したので、薄々自分が空気の流れ(エネルギーの流れ)を動かせるんじゃないか?と思っていました。なので、彼女が私に向けて来た「死ね!」を返したから彼女が死んだんだ、と苛まれました。

極悪人だ、どうしよう、堕ちるところまで堕ちてしまった、と心の中が墨汁で真っ黒に染まっていくような罪悪感に囚われました。使い方の分からない妙な力がいつささいなことで人を傷つけるのか、戦々恐々と怯えていました。大人になるとあれは気のせい、たまたまだ、普通の人間だと思えたし、もう今は強く誰かを恨むこともないという安心感からすっかり罪悪感も忘れていました。

けれど、シータヒーリング基礎DNAセミナーでヴァイアナが「呪いには呪いを返して応戦しても、更なる呪い合戦になるだけだから、創造の光に返して相手に無条件の愛を送りなさい」と言っていることを学んだ時、それまで忘れていたトラウマが浮上して、あの子の死を思い出しました。

得体の知れない力を使って誰かを傷つけるくらいなら、サイキックなんて要らないと思って閉じた頑なな気持ちが「そうか、光に返しちゃえばいいんだ!行き場のないエネルギーは還せるんだ!」と潜在意識が理解したようで、深く呼吸が出来たような感じがしました。

そして、必ず出来事には学びがあること、後悔は学びに変えて次のステップに進んでも良いことを知り、楽になりました。さらに、リレ2で人は一方的な加害者や被害者はいないこと、必ず現実を共同創造するために潜在意識レベルで合意があることを知り、私の中の小さなこどもはやっとサイキックであっても良いのだと思えました。私はウォークインなので、幼少期の記憶は今の私の出来事として実感がありません。けれど潜在意識が抱えていたトラウマや思い込みはDNAに書き込まれているので、肉体がいう事を聞かない!精神だけではバランスが取れないということを散々味わって葛藤したので、シータヒーリングによって「統合」が出来ました。

応用DNAセミナーでは死者と話をします。私は彼女と話をし、彼女がもう次の学びに移行していて、お互いにごめんねを言えたことを経験しました。

シータヒーリング

昔は、元の私の尻拭いを何で私がしなきゃならないの?って思っていましたが、こういう経験の記憶がある肉体だから私は地球で学べているし、肉体と精神のバランスを取ろうとすることはやりがいがあってある意味楽しいと思えます。

ちなみに私がいた次元はたくさんのメンバーがいて、それぞれあっちこっちバラバラな方向を向いている状態で「右向け右」と言われたら、自分がその時向いている方向から皆んな右を向くので、結局バラバラ笑でも、それが許されていて物事を球体で見るようなところです。時間がないので、受講生さんはご存知だと思いますが、今も私は時計に苦戦します。とはいえ、地球と比べてどちらが優れているか、というような類いのものではありません。

私は比較的経験の少ない魂なので、この呪い返しのように目に見えないエネルギーが動くということは知っていても、感覚的にみんな知っている当たり前のこと過ぎて、仕組みや扱い方までは知りませんでした。赤ちゃんが息をするのに、呼吸についていちいち考えていないのと同じです。

そして、人間がパワーを使って成す時に、愛があれば暴走はしないけれど、人間の身体や精神はその「愛」に苦戦するからエゴや顕示欲、支配欲で力の暴走が起こるんだなと、シータヒーリングをやっていく中で気づきました。

シータヒーリングは3次元にいながら、5次元、それ以上の次元でエネルギーを読み解くので、たまに「ん?」と思う解釈もありますが、基本的には人類に与えられた素晴らしい「枠からの解脱」を可能にするメソッドだなと思います。

そして私とはまた異なりますが、今はあまり地球の経験がないスピリットが地球に生まれて来ていて、彼らにもシータヒーリングの様々な概念は、元いた場所の記憶がある人達にとっては違和感を解消し、肉体のビリーフに引っ張られずに生きる術を与えてくれると思います。

もう、3次元に見えている世界は、複数のレイヤーが重なって1つに見えているだけで、エネルギー層で見ると実は同じ次元にはない。だから、幸せになりたい、素敵な人達に囲まれて愛され尊重されて生きたい、と思うなら…自分の波動を変えて高波動エネルギーレイヤーの上にインして生きて行く必要がある。それが、シータヒーリングが伝えようとする「解放とクンダリーニ」ではないでしょうか。

感情レイアウト

感情と次元

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